
明治になって身分制度は変わりましたが武士であった三田藩士子孫として
懐旧会(上級武士)と貫誠社(下級武士)の二つの団体が結成されました。
懐旧会は大正時代に消滅して活動は貫誠社に統合されましたが今も約40名で存続しています。
天神公園には貫誠社の説明版と記念碑が立っており毎年秋には関係者が集まって藩祖祭をされています。
機会があれば天満神社の右にある天神公園の奥を散策して貫誠社の記念碑をご覧ください。
尚、天神公園には天岡均一が作った小寺泰次郎像がありましたが
太平洋戦争の金属供出で無くなりそのことを説明した文章だけが寂しく残っています。