三田藩の家老職であった白洲退蔵の孫、白洲次郎の父「文平」は
神戸で綿貿易を生業とする白洲商店で大きな商いをしていました。
白洲商店で設けた大金で次郎はイギリス留学が出来たのです。
また文平は日露戦争の勝利のときは同じ電車に乗り合わせた人々に
振る舞い酒をしたという豪快な逸話もあります。
文平は儲ける度に豪邸を建てる趣味があったと伝えられています。
大正11年頃文平は今の伊丹市春日丘に豪邸を建てましたが白洲次郎が
イギリス留学から帰った昭和3年には一時的にここを住居としていたと思われます。
昭和5年に白洲次郎が樺山正子と結婚したとき婚姻届は当時の川辺郡伊丹の町役場に出ています。
さて伊丹にあった文平の豪邸は敷地は4万坪、屋敷は木造和風建築、美術館やぼたん畑を併設していたと言われています。
今はその面影もありませんが写真は当時敷地内にあった給水塔です。
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