丹波篠山市に接する三田の北端海抜約500Mの高地に位置する
母子地区は何故母子という名前になったのでしょうか。
母子を「もうし」と読むことが難しい難読名称でもありますね。
今の母子地区は奈良時代は鷹原(たかのはら)と呼ばれていたそうです。
この地区を治めていたのは舒明天皇の配下であった猫間中納言でしたが
彼は定期的に舒明天皇に今に言う春の七草の「ごぎょう」を贈っていたそうです。
「ごぎょう」は「奉仕草」とも「母子草」とも呼ばれていたことから
この地区を母子と呼ぶようになったと言われています。