三田の広野に淡路開拓村があります。
淡路大池の傍に淡路風車(かぜ)の丘という公共施設がありましたが
民間に売却され令和6年春からレストランに変貌しています。
さて何故三田に淡路という名前が残っているのでしょうか。
昭和16年に淡路島五色村から円丁誠一を団長とする開拓団が満州に渡りました。
戦後満州から帰国した彼らに兵庫県から三田広野の約100ヘクタールが与えられました。
その経緯からこの地を淡路開拓村と呼び中心には「淡路公民館」が建っています。
そして満州及び広野の開拓を指導した円丁誠一さんの胸像が凛として淡路開拓村を見守っています。
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