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第9話 なぜ水軍の将が山のさんだに?

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徳川幕府3代将軍徳川家光のとき鳥羽にいた九鬼水軍が三田に国替えとなりました。

なぜ海の戦いを得意とする水軍が山の三田に来ることになったのでしょうか。

 

伊勢の国・5万6千石の鳥羽城主九鬼守隆(もりたか)は後継者として5男の久隆(ひさたか)を

指名しましたがこれに不満を持った3男の隆季(たかすえ)が幕府に訴えるという騒動が起こりました。

九鬼家は幕府からお家騒動として取り潰されても仕方ないところでしたが幕府の温情で

5男久隆は3万6千石で三田へ3男隆李(たかすえ)は2万石で京都の綾部に国替えとなりました。

 

三田では初代の久隆から最後の隆義まで13人の城主が三田を治めましたが

いつか海に帰りたいと切望していたのか明治になって海のある神戸に移り住みました。

三田にいるときは三田小学校傍の三田大池で船を浮かべて海の戦いを

訓練していたという逸話がありますが真偽のほどはわかりません。

写真は鳥羽にある城跡と九鬼家の菩提寺常安寺です。