明治32年に三田に私鉄の阪鶴(はんかく)鉄道が通るまで三田は物流や人の移動が大きな課題でした。
そこで武庫川の水路を活用できないかと考えた地元の有力者がいました。
そして明治7年に篠山から三田まで武庫川を利用した船便が実現しました。
篠山から三田の桜の馬場までは28KMあります。
船は30隻が就航したと言われています。
篠山から花嫁さんがこの船に乗って三田に嫁入りしたというのんびりした話も伝わっています。
しかし残念ながら武庫川の運航は永く続かず明治10年に幕を降ろすことになりました。
理由としては武庫川の水量の不足、特に田植えで水田に水が必要な時期は休航とせざるを得なかったこと、
時間的に陸路よりも時間がかかったこと、堤防の破損が著しかったこと、陸路の交通が進んできたことなどがあります。
4年という短い期間であったとしても武庫川に船が運航していた時期が
あったことは興味深くどんなんだったのだろうかと覗いてみたい思いがあります。
写真は明治末期の車瀬橋の写真です。
この頃既に船の運航はありませんが柳がありきっと蛍もたくさんいたことでしょう。
川では子供水遊びをしています。奥様方は川べりで洗い物をしています。
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