歴代三田藩主隆義の正室の墓碑は東京にありましたが明治32年に阪鶴鉄道が通ったのを契機に明治40年隆義の長男である隆輝が心月院に移設しました。
心月院の奥にある高台の九鬼隆義の墓碑がある広い敷地に正室の墓碑が並んでいます。
ここには側室の墓碑はないのですが九鬼隆義の側室であった天野園子の墓碑が
遠慮がちに木々に隠れてひっそりと佇んでいます。
天野園子は最後の藩主である九鬼隆義の側室として7人の子供を産みました。
長男の隆輝は自分の実母である側室天野園子の墓碑を心月院に移設したのです。
天野園子は美人で聡明な人だったと言われておりまた子供たちを有馬温泉まで連れて行ってキリスト教の伝道者と会わせており三田でキリスト教が普及するきっかけをつくりました。
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