農民にとって米作に欠かせない水の確保は最も重要で死活問題と言えます。
その意味で今も武庫川やため池などの水利権は厳しく管理されています。
勝手に水を引いて使うことは水泥棒と言われ最も厳しい仕打ちを受けたのです。
さて三田小学校の横に三田御池があります。
江戸時代鳥羽から海のない三田に国替えでやってきた九鬼水軍の武士たちは、陣屋のお堀でもあった三田御池に船を浮かべて船上の戦いの訓練をしていたという伝説があります。
さてこの三田御池は奈良時代にあの場所に金心寺が出来た時の蓮池と言われており、金心寺が寺領地として持っていた寺村の田んぼにこの水を引いていました。
それから千年以上たっていますがいまでも三田御池の水利権は寺村が持っているのです。
三田御池から寺村まで流れている水の旅を辿ってみてはいかがでしょうか。
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