明治時代の有馬郡から昭和に入り三田市になるまでには大きな動きがありました。
戦後有馬郡から神戸市に編入されたのは有馬町・大沢村(おおぞう)・有野村・八多村・道場村・長尾村の6か所で更に西宮市に編入されたのは塩瀬村・山口村の2か所です。
そして有馬郡で取り残された町村により昭和33年に三田市が発足したのです。
しかし市となっても三田市は自立出来る目処がなく市丸ごと神戸市に編入されることを希望していたようでそのことが当時の三田の広報誌で報じられています。
その後三田市にはニュータウン計画・テクノパーク計画が持ち込まれ具体化したことにより神戸市に編入される話は立ち消えとなりました。
その後三田市がしばらく人口増加率日本一で有名になったことはご存じの通りです。
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