三田藩の石高は3万6千石でしたがそのうち6千石は三田ではなく飛び地として丹波にあったのです。
三田藩はこの飛び地の管理のために代官所を設けて管理をしていました。
いまでも丹波には三田藩の代官所跡が残っています。
この土地で収穫した6千石の米はどのようにして運ばれたのでしょうか。
丹波には近くに加古川が流れていますが6千石の年貢米は船便で加古川を下り
瀬戸内海を経由して大阪の三田藩蔵屋敷に運んでいたのです。
写真は今も名残を残している代官所跡と加古川の積出港(本郷舟座跡)です。
この時代の物流は本当に大変だったんですね。