明治2年に三田で数千人という大規模な百姓一揆が起こりました。
冷害のために例年通りお米が取れなくても納める年貢米は変わらないことに対する三田藩への抗議でした。
結果的に抗議は受け入れられ年貢米は半減となりまたが首謀者である下田中の仲総左衛門は
百姓一揆の首謀者として責任を取らされ罰せられて武庫川の河原で絞首刑となりました。
彼の墓碑は下田中の神明寺にあります。
彼の犠牲的精神に対する感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。
最近この百姓一揆について有志の活動のより下田中の神明神社に記念碑が建てられました。
写真はその記念碑を巡るウオークのときのものです。
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