東京都町田市に晩年白洲次郎・正子が暮らしていた武相荘が今も静かに佇んでいます。
白洲次郎は祖父の白洲退蔵が三田藩の家老職を務めていた三田ゆかりの人です。
生まれは芦屋ですが英国のケンブリッジ大学で学び本場の英語とイギリス紳士術を身に付けました。
太平洋戦争中に今の町田市に居を構え農業に勤しんでいましたがイギリスで懇意になっていた
吉田茂に請われ戦後吉田首相の懐刀としてアメリカGHQとの交渉責任者として活躍しました。
「日本は戦争には敗れたが奴隷になったわけではない」という持論で堂々と
GHQと交渉し今の平和憲法成立にも大いにかかわったと言われています。
人はしっかりとした揺らぎのない基軸を持つことが重要であり「プリンシプル」であるべきと語っています。
昭和60年83才で亡くなりましたが彼の遺言は「葬式無用・戒名不用」でした。
白洲次郎・正子夫妻は静かに三田の心月院に眠っています。
因みに武相荘は武蔵の国・相模の国・そして不愛想であることを意味しています。
写真は現在の武相荘と若かりし頃の白洲次郎です。
武相荘の写真2枚は武ちゃんが現地を訪れた時に撮影したものです
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