飛鳥時代の西暦645年に決行された「大化の改新」は第34代舒明天皇の息子であった中大兄皇子(後の天智天皇)と家来の中臣鎌足によって決行されたと伝えられている。
中大兄皇子の父である第34代舒明天皇は体が弱く有馬温泉に長逗留していたが中大兄皇子と家来の中臣鎌足も同行しており若い二人は馬で三田に遊びに来て黒川の豪族宅に滞在した。
その時に黒川の娘との間に子供が生まれたがその子供のために太刀を置いて奈良に帰ったが子供は早く亡くなり小野の大日堂に祀られたという民話が残っている。
小野の大日堂に詳しい説明版があるので是非ご覧頂きたい。