今のしゃべくり漫才は昭和初期「早慶戦」をネタにしたエンタツ・アチャコによって始められたものです。
それまでの漫才は音曲を中心としていましたがエンタツ・アチャコは会話に徹する「しゃべくり漫才」の基礎を築きました。
そのエンタツは三田広野の医者の家に生まれ本名は石田正見と言いました。
芸名の横山は三田にある場所・横山に由来していると言われエンタツは横山にあった煙突をもじったものと伝えられています。
石田家の墓地はJR広野駅近くにあり吉本興業にいた花紀京は彼の次男です。