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第37話 詩人「三好達治」が三田の車瀬橋で祖母と蛍狩り?

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江戸時代の「摂津名所図会」には三田の車瀬橋が蛍の名所として紹介されています。

明治の終わり頃に詩人「三好達治」は祖母が後妻として来ていた妙三寺(日蓮宗)に

妹と一緒に預けられ5年生まで三田小学校に通いました。

彼の詩人としての感性は自然豊かな三田で育まれたものと言えましょう。

 

三好達治は祖母と度々車瀬橋で蛍狩りをしていたようで車瀬橋の中央には三好達治が作った詩「祖母」が紹介されています。

この車瀬橋は三田の城下に向かう丹波街道に掛かる重要な木橋でありましたが昭和59年にコンクリートになりました。

蛍がいたころの武庫川は今よりももっと狭くて柳がたくさんあったそうですがその後洪水を防ぐための河川改修で蛍は見られなくなりました。

 

因みに武ちゃんが所属している三田男声合唱団では三好達治の詩「花筐」(はながたみ)を4部合唱で歌っていますので近いうちに演奏会で披露できると思います。