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第42話 江戸時代三田界隈で庶民が使えるは橋は2つしかなかった?

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三田界隈で武庫川に架かる橋は現在は北からお殿橋・三田大橋・車瀬橋・高砂橋・相生橋の5つありますが江戸時代はお殿橋・車瀬橋・新地橋の3つしかなかったのです。

お殿橋は九鬼藩のお殿様が息抜きに対岸の福井家にお遊びに行くための専用橋で庶民は通れませんでした。

ということで名前も「お殿橋」と付けられていました。

この橋は武庫川の付け替えにより場所は変わりましたが今は三田市総合福祉保健センターの横にあります。

今はお殿様専用ではなく誰でも通れる橋になりました。

車瀬橋は丹波街道から本町に架かる重要な橋でした。

もし敵が三田城を攻めてきたら橋を落とせるようになっていました。

新地橋は当時遊郭があった新地へ渡る橋でしたが罪人が処刑される武庫川河川に移動する橋でもあったのです。

この橋は今は撤去されていますが鍛冶屋町に橋の面影が残っています。

相生橋は明治32年に阪鶴鉄道が出来たのちに設けられこれが三田駅前通りとなって賑わい国道176号線として活用されました。

ということで江戸時代には三田大橋・高砂橋・相生橋はなかったのです。