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  3. 武ちゃんからのこぼれ話

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奈良時代の高僧「行基菩薩」は奈良東大寺の再興に貢献あったことで知られていますが彼は三田でも大きな功績を残していることをご存じでしょうか。彼は僧というよりは土木のブルドーザーともいわれ多くの仲間とともに各地の街づくりに貢献しました。三田では武庫川の...
07/23

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第13話で説明した青野ダムは兵庫県の管轄ですが平成3年に完成した大川瀬ダムは国が管轄しています。大川瀬ダムは武庫川水系ではなく加古川水系であり東条川を経由して加古川に流れ込んでいます。篠山の川代ダムから水管で送られてきた水が大川瀬ダムに貯水され主...
07/17

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著名な洋画家小磯良平のルーツが三田にあることをご存じでしょうか。小磯良平は三田藩士岸上角次の孫、岸上良平として明治36年に神戸に生まれました。小磯吉人(大日本製薬社長)とその妻英子に子供がいなかったこともあり養子となりましたが、英子は小寺謙吉の姉...
07/17

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江戸時代日本の地図作成に尽力した伊能忠敬が三田に2度訪れていることをご存じでしょうか。伊能忠敬(1745-1818 73歳で没)は幕府の使命で日本地図作成に大きな功績があった偉人です。彼は測量を55歳からまず蝦夷地から始め、71歳までの16年間、...
07/17

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金閣寺は昭和25年に金閣寺の美しさを妬んだ青年僧の放火により焼失しましたので今の金閣寺はその後建て替えられたものであることをご存じでしょうか。三田ゆかりの洋画家「大石輝一」(三田の淡路開拓村でアートガーデンを造った人)は昭和23年、54歳の時に金...
07/14

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東京都町田市に晩年白洲次郎・正子が暮らしていた武相荘が今も静かに佇んでいます。白洲次郎は祖父の白洲退蔵が三田藩の家老職を務めていた三田ゆかりの人です。生まれは芦屋ですが英国のケンブリッジ大学で学び本場の英語とイギリス紳士術を身に付けました。太平洋...
07/09

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明治2年に三田で数千人という大規模な百姓一揆が起こりました。冷害のために例年通りお米が取れなくても納める年貢米は変わらないことに対する三田藩への抗議でした。 結果的に抗議は受け入れられ年貢米は半減となりまたが首謀者である下田中の仲総左衛門は百...
07/05

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今から36年前の昭和63年に兵庫県により武庫川の支流である「青野川」に青野ダム(千丈寺湖)が完成しました。三田は昔から洪水と渇水に悩まされてきましたが青野ダムが完成したことにより武庫川の水量調整が可能となりこれらの悩みは解消したことは画期的なこと...
07/05

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 明治に入り多くの三田藩士が神戸に進出しましたが小寺謙吉は明治10年に小寺泰次郎の長男として神戸の相楽園(蘇鉄園ともいう)に生まれました。小寺謙吉は海外留学の経験も豊富であり明治41年には31歳の若さで衆議院議員に当選し明治45年には故郷に念...
07/01

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明治32年に三田に私鉄の阪鶴(はんかく)鉄道が通るまで三田は物流や人の移動が大きな課題でした。そこで武庫川の水路を活用できないかと考えた地元の有力者がいました。そして明治7年に篠山から三田まで武庫川を利用した船便が実現しました。篠山から三田の桜の...
06/30

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三田の屋敷町で生まれた三田藩士鈴木清・沢茂吉らが中心となって明治13年に北海道開拓会社「赤心社」が神戸栄町に設立されました。現地は現在の北海道浦河郡浦河町ですが襟裳岬が近くで競走馬育成の場所としても有名なところです。 現地責任者として沢茂吉が...
06/30

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徳川幕府3代将軍徳川家光のとき鳥羽にいた九鬼水軍が三田に国替えとなりました。なぜ海の戦いを得意とする水軍が山の三田に来ることになったのでしょうか。 伊勢の国・5万6千石の鳥羽城主九鬼守隆(もりたか)は後継者として5男の久隆(ひさたか)を指名し...
06/29

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三田の広野に淡路開拓村があります。淡路大池の傍に淡路風車(かぜ)の丘という公共施設がありましたが民間に売却され令和6年春からレストランに変貌しています。 さて何故三田に淡路という名前が残っているのでしょうか。 昭和16年に淡路島五色村から...
06/27

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三田小学校の正門から入ってすぐ右側に凛としてそびえている大きなヒマラヤ杉に気が付いていますか。昭和13年に三田小学校高等科を卒業された三田出身の中西定雄さんは太平洋戦争に出兵し昭和19年に南方のサイパン島で戦死されましたが彼が出兵前に平和を願って...
06/27

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三田市内を車で走っていると現在の住所には存在しない名前の道路標識が目につきますよね。石名 赤坂 松山堤 嫁が淵・・・などそして昔の中央公民館(現在のさんだ市民センター)前の交差点には「京口」という標識があります。京口ってなんでしょうか。この場所は...
06/14

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明治8年に三田藩士の家系として屋敷町に生まれた彫刻家「天岡均一」は東京美術学校で高村光雲に師事した著名な彫刻家です。生家は三田市屋敷町カトリック教会のすぐ下にありました。彼の作品は残念ながら太平洋戦争の金属供出で消失したものが多いのですが大正4年...
06/07

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三田駅近くに石炭火力発電所が出来たのは114年前の明治43年のことですがその7年後の大正6年に小規模な水力発電所が三田に完成したことをご存じでしょうか。場所は清流・羽束川上流にある小柿野外センター近辺です。関西電力が管理しているこの発電所は450...
06/03

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大正3年から当時の国鉄三田駅から有馬温泉まで国鉄有馬線(単線の蒸気機関車)が走っていたことをご存じでしょうか。この路線を利用して三田駅から多くのお客様が有馬温泉を訪れました。駅は三田ー塩田ー新道場ー有馬口ー有馬の5駅で距離12,2㎞を約40分かか...
05/28

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第2話「三田に天皇のお墓があるって知っていましたか?」 大河ドラマ「光る君へ」が面白くなってきましたね。大河ドラマでは詳しく説明されていませんが登場する65代花山天皇は三田ゆかりの人で三田市尼寺にある花山院菩提寺に御廟所があります。宮内庁が認...
05/20

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江戸時代三田は「摂津の国」と呼ばれていましたが明治になって「有馬郡」となりその郡役所が三田に置かれました。その郡役所は今の旧九鬼家住宅資料館の前にあったのです。(現在駐車場です)その後有馬郡から三田市になりましたが有馬郡の中心が三田であったことも...
05/19

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